-
11月 3rd, 2011美容・エステ戦後、株式会社として生まれ変わった美容マリールイズは、戦前の資産、すなわち築かれた信頼・ブランドをそのまま受け継いだ。東洋初・東洋一の美容学校として評判の高かった麻布六本木のマリールイズ美容女学校は戦火で焼失したが、それに代わって新宿御苑前に財団法人の美容学院を設立。初代が亡くなった後も、歴代の後継者たちが事業を発展させ、後の世代を育成していく。もちろん、皇族の方々のお支度の業務ももそのまま継続して行っている。
その一方で、戦後間もない1947年に開業した日本有数の結婚式場「明治記念館」では専属の美容室としてトータルウエディングをサポート。さらに、1991年からは日本で初めての総合結婚式場「目黒雅叙園」の美容部門を担当。両方を合わせると、年間5000組のカップルの美容を担当している計算になる。
マリールイズのスタッフは全員が着付けのプロフェッショナルだ。担当スタッフが二人一組となり、丁寧に仕度してくれるというのだから、かなり贅沢なサービスと言ってもいいだろう。細部にまでこだわった、美しい和装の着付けは品格も抜群である。多様化するウエディングスタイルにも十分対応しており、トラディショナル性と新規性を併せ持つ美容マリールイズの質の高い仕事は今後も変わることなく続いていくだろう。
Tags: マリールイズ
-
11月 2nd, 2011美容・エステ用機器1912年(明治45年・大正元年)よりマリールイズは、日本人の長い髪を、洗髪を楽にするために切ることを提案。「ルイズ髷」という現在のヘアピース、つけ毛を考案・製造して世に出し、特許を取得する。便利のよいこの髷は、上流階級の夫人たちの人気の的になる。次に、パリで修業して習得した技術「マルセルウェーブ」を日本人に似合うように改良しながら紹介。これは皇族・華族から次第に流行し、一世を風靡する。 その後も次々と洋風の髪型を創作し、“行方不明”、“オールバック”、“片耳隠し”等々、ユニークなネーミング効果もあって世に流行していった。
Tags: マリールイズ
一方、初めての西洋のクリームである化粧品「MLクリーム」などを製造販売し、美容全般の発信地の役割を果たしてもいた。化粧下地クリーム、コールドクリームなどは、長年受け継がれ、自社にて製造し、美容マリールイズのブライダル用に使用していた。そのためにマリールイズの花嫁化粧は特にナチュラルで美しかったと伝えられている。
昭和に入ると、麻布六本木に日本で初めて、また東洋でも最初の本格的な美容学校「マリールイズ美容女学校」を建設。この中には営業部門の「マリールイズ化粧院」を設置。皇族用の貴賓室も設けられ、いつも皇族の方々の黒塗りの車が連なった。前にあった六本木警察はその周りも警備し、特別な区域となっていたそうだ。 -
11月 1st, 2011美容・エステ「美容マリールイズ」の歴史は1世紀に上る。明治・大正・昭和・平成と、まさしく日本の近代美容を創ってきた美容サロンの老舗中の老舗だ。来年、2012年(平成24年)2月が創業100周年の記念の年。女性モード社より「日本近代美容の母 マリールイズ」が刊行されることになっている。現在の美容産業の隆盛も彼女と彼女の後継者たちの功績が礎となっていることは言うまでもない。
Tags: マリールイズ
創設者である初代マリールイズ(相原美禰)は、1875年(明治8年)、英国公使館付武官である父と、母・相原美奈の長女として生まれた。長じて 17歳の時、叔母の養女となってフランスへ渡り、美容に関する技術を取得し、審美眼を養う。
1911年(明治44年)の暮れ、駐仏初代特命全権大使 子爵 栗野慎一郎に伴われ帰国、19年振りに故国の土を踏んだマリールイズは、翌年から宮内省を通じて当時の宮家皇族十五家へ上がり、日本で初めての西洋美容を奉仕するかたわら、洋装に関しては着装や平時の帽子の被り方にいたるまでアドバイザーとしての役割を果たした。そして赤坂田町に美容所を開設するのである。 -
